広報に関わるあれこれ−−小規模零細研究所から

法政大学大原社会問題研究所 若杉隆志



 1.インターネットは広報の外?
 大原社会問題研究所(以下大原)では広報といっても格別のことをしているわけではない。しいていえばインターネットでの発信を意識的にしていることくらい、そのあたりはつい最近『情報の科学と技術』に書いたばかりである。けっこう内輪のことも書いたつもりです。関心がありましたら2003年12月号をご覧ください。
 そもそも広報という範疇が今ひとつわからない。手元にあった私大図協東地区部会企画広報分科会による『図書館広報実践ハンドブック』を見てみた。これはなかなか力作である。20大手段というのが載っていた(30p)。その内大原でともかくも実行しているのは広報支援手段の方では3つほど、広報手段の方は2つほど。少ない。だけどほかの研究機関の状況はよく知らないのでこれがどの程度のレベルなのかはわからない。ところで20の中に「インターネット」があげられていないのは意外だった。今時ネットは広報の中の広報ではないかと思うがどうなのだろう。

 2.「大原は宣伝下手」  大原で広報を対象別にみると、大きく@学内、A研究所内、B外部、に分けられ、それぞれに多少視点、方法が違ってくるのだろう。このあたりが大学図書館とは多少スタンスが違うところか。
 ところで学内でよく他部局の職員から「大原は宣伝下手」と言われることがある。ふだんどんなことをしているのかがうまく学内に周知されていないということであろう。たしかに経理部や図書館などは仕事の中身がすぐ理解できる。だが研究所という存在はもどうもピントこないようである。こうした言われ方には背景がある。学内で現在10の研究所があるが、その中で大原は格段に人員、予算の配分が多い(個人的には決して多いとは思っていないが)。はたして学内でそれに見合う貢献はしているのかという疑念が言外に含まれている。
 こちらにも言い分はある。シンポジウム開催やネットの新しいコンテンツなど機会をとらえてせっせと学内の広報誌に原稿を送ったり、メールでお知らせしたりしている。なんかネタのない時はメールしてよ、広報の職員には言っている。最近では図書館報の頁を一部もらって学生も利用できる旨PRした。インターネットでの情報発信はメガ数からいっても学内の研究所で群を抜いている、あんたたちが見てないだけじゃないの、などなど。といってもこれはこちらの言い分。現にそういう反応があることは事実である。これはけっこう根強い。この認識が多数を占めると人員配置、予算配分に反映する。現にここ数年反映し、しっかり人減らしされているのである。
 これではいかんというので学内向けのPRは意識的に行っているつもりである。が、これを書いていて、最近はもっぱらネットでの情報発信に傾きがちで、ほかの媒体でのPRが手薄なことにはたと気がついた。そうですよね、お互い忙しいんだから必要にせまられない限りほかの部局のホームページなんて見ない。

3.ようやく看板ができた
 最近のできごとといえば研究所の入口に看板が出来たことである。多摩移転以来19年目にしてはじめて長年の懸案が実現した。どうして看板が欲しかったかというと要するに写真撮影用である。見学者、訪問者が確かに研究所に来たという証拠写真を撮るのに適当な場所がこれまでなかった。たかが看板ひとつであるが、これは施設担当の職員が大原の存在を認めてくれていたからによる。もちろん管理職の理解・力量もあろうが他部局の職員の研究所への「ファン度」が日常の仕事をすすめていく上でもとても大きいと感じている。これはどこの職場、大学でもいえることであろうが、とりわけ学内での存立基盤の弱い研究所ではけっこう大きな要素であると感じている。つい最近作成した研究所案内には早速この看板を撮って入れた。

4.きっちりサービス、そして書き、話す
 外部への広報をいう場合当然のこととしてライブラリーの利用が公開されていること、利用サービス拡充が方針として認知されていることが前提である。幸い大原は古くからライブラリー・アーカイブの機能を重視し、研究資源をできるだけ公開するよう努めてきた。それは現スタッフでも合意されている。
 外部へのPRは先述したようにネット以外ではとりたてて行っていないが、図書館・文庫ガイドといった案内本の掲載依頼には丁寧にお応えするようにしている。お金をかけずにPRできるのだからこんないい話はない。最近はご存じのようにやわらか系の雑誌などでも時々専門図書館特集が組まれるようになっている。ところが労働はお堅いテーマゆえかほとんど私どもにはお声がかからない。それとどうも専門図書館に関わる某団体が関与しているようにもみえる(まったく推測です、根拠なし)。で、今入会を検討しているが、会費が高いので躊躇しているところである。
 所内での研究活動とのバッティングも時にはあるが、利用者の方にはできるだけ要望に応えるようにしている。場所柄来館しないでも出来るサービスも可能な限り実施している。それは多くが大原にしかない資料、大原だからある資料を利用にみえるある意味ではエンドユーザーだからである。時々研究員からはサービスのし過ぎだとクレームがつくこともある。
 利用サービスの便宜を得るのが主目的で客員研究員になられる方もいる。専用デスクが使え、コピー料金が学内者料金になるメリットは大きい。それでもいいと思っている。研究所の資料を利用され、研究成果を公表する、それが労働分野の研究の活性化につながり、ひいては大原の諸活動にフィードバックされてくる。労働研究全体の底上げがあって大原の存在があり得る。
 労働運動、社会運動分野では研究者の間では「大原社研」の知名度はそれなりにある。
関連する学会などでの研究者同士の交流もあり、新たな資料の受け入れ情報などがいち早く流れたりする。在野の研究者にも等しく窓口が開かれている。狭い労働分野でのことサービスの提供を受けた研究者が口コミでする「広報」は決して小さくない。逆にいえばネガティブイメージもすぐにひろがるということである。
 最近はネットを見て多様なユーザーが多様な資料ニーズを求めてくる。そうしたニーズにきっちり応え、サービスすることこそが広報の大前提ではないかとあらためて思うのである。
 その上でやはり、書くこと、話すこと、原稿依頼を受けたらともかく引き受けること、これも広報の基本かもしれません。    (わかすぎ・たかし)

 
『大学の図書館』23巻3号(2004.3)

トップページへ