私の月誌(2001年11月)

向坂文庫のこと

 向坂文庫の冊子目録刊行事業が昨年度でようやく終了しました。あしかけ15年に及ぶ大事業でした。『社会主義』編集部より依頼され、整理の経過などを寄稿しました。こちらです。受贈の経緯、文庫整理の実際などはそれをお読みいただくとして、ここでは同誌に書いた以外の2,3のことを思いつくままに書きます。
 もともと私が前の職場神奈川県庁(司書職)から、大原、もとえ法政大学に転職することになったきっかけは向坂文庫が関係しています。大原では向坂文庫を受け入れる前から欠員1ということを大学上層部に主張していたということです。1986年の多摩移転に際し、書庫スペースに余裕ができたことから向坂文庫の受け入れを決めたのですが、その整理の要員として1名を中途採用することが認められ、公募の結果私が採用されたという経緯です。それには当時財団法人以来の是枝さん、谷口さん、北村さんなどベテラン職員がそろそろ定年退職期にさしかかっていたため、後継者を採用するという意図もあったようです。本来であれば法政大学の中で後継者養成が行われてしかるべきなのでしょうが、法政大学、に限らず私学のおおかたの人事制度はジェネラリスト志向で、職員の専門職制度を認めていないという事情がありました。故向坂逸郎が私を大原に引き合わせたわけです。
 というわけで、後継者ということではまことにこころもとないのですが、幸い1988年の採用以来ずっと向坂文庫の整理に直接間接に関わることができました。向坂逸郎は、私の学生時代、社会主義協会向坂派のリーダーとして知ってはいましたが、著書は読んだことはありませんでした。しかしその文庫は膨大なものでした。和書・洋書はむろんのこと、雑誌・新聞、さらには原資料すなわちビラ、チラシなどありとあらゆるかたちの「資料」を含んでいました。大原はそれらすべてをまるごと文庫として受け入れたのです。図書館員としての経験はそれなりにありましたが、そのままマニュアルどおりにやればいくとは限りませんでした。是枝さんや二村さんはじめいろいろな方にアドバイスしていただきながら悪戦苦闘の連続でした。大原は上から言われたことをそのままやるといった職場ではなく、(だいいち何もいってくれません)、自ら考え、提案し、実行していく気風です。そしてそれぞれにかなりの裁量を与えてくれてもいます。私なりにかなり自由にやらせてもらった結果が今回の冊子目録です。
 私としては一区切りではありましたが、寄贈していただいてから15年も要したことは、いかに文庫が膨大にせよあまりに長すぎたといえます。寄贈に関わられた川口武彦さんや近江谷左馬之介さんはじめ何人かの方もこの間亡くなられました。担当者としてはまことに申し訳ないという気持ちでいっぱいです。あらためて向坂逸郎のご冥福をお祈りします。そしてゆき夫人がいつまでも健康でいられることを祈念しております。


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