私の月誌(2002年2月)

総合学習

 2月某日、府中市の中学校の先生より電話がありました。趣旨は、総合学習の一環で、子どもたちにそれぞれ課題を決めさせ、図書館や社会教育施設に調べ学習に行かせている、あるグループが「水俣病」をテーマに決め、インターネットで検索したらそちら(つまり大原)にかなりの文献があることがわかった、ついては子どもたちを受け入れてくれるか、また、質問に対応していただけるか、といったことでした。
 私は、私どもは一般公開しているのでどうぞ自由においでください。ただ水俣病関連の文献はあるが大半は研究者向けなので子どもたちが理解できるかどうかは心許ない、また、労働問題であれば研究員がいるので対応可能だが、公害問題は適切な受け答えができるかどうかは保障できない。窓口の職員は私も含めて事務職員なので資料の見方、調べ方は教えられても内容には対応できない、と答えました。
 これでは事実上お断りですね、私はそのつもりではなかったのですが。あとからおおいに反省しました。
 このことでまず感じたのは、総合学習は、学校図書館や公共図書館、せいぜい公私の博物館などでの話であって、大学の研究機関は圏外であろうと考えていたこと、のうかつさ。それとインターネットで発信される情報はこちらが想定しているユーザーだけでなく、まさに誰でもが見ているんだな、とあらためて実感したことです。
 このことをある教員に話したら、その方がおっしゃるには、それだったら大学生と同じじゃないか、つまり子どもたちが自分で課題を決め、文献、資料を調べ、時にはフィールドワークし、レポートとしてまとたり、学校に戻って発表したりする。これは大学生のゼミレポートや卒論、あるいは研究者が学術論文・図書をものするのと同様ではないか。総合学習は、与えられた知識の集積ではなく、自ら考え、調べ、まとめる。その意味で旧来の学校教育の枠を超えるさまざまな可能性を持っている、ただ、教師は大変だし、評価もむずかしいだろうけど、と。
 なるほどと思いました。収集する資料を教材までひろげることはないにしても、中学・高校生でも関心があれば研究書もけっこう理解できるかもしれません。テーマによっては関連する原資料もあるでしょう。そうした資料を読みとることも学習過程のひとつといえるかもしれません。今度同様の連絡がきたら言い方を変えようと待ちかまえているのですが、、。



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