私の月誌(2004年6月)
労働運動の資料はどこで保存する
組織の資料はその組織で保存する。個人の資料は個人が保存する。そんな当たり前のことがなかなかむずかしいことをあらためて最近実感しました。
ここにきて立て続けに2件大原に資料の寄贈申し込みがありました。
ひとつは亡くなられた父親が蔵していた労働問題・賃金問題に関する図書の寄贈です。遺族の方が、ただ廃棄したり、古書店に売却するのではなく、しかるべき資料保存機関での受け入れを希望して、大原に連絡してこられたものです。
ふたつめは、埼玉県で1960-70年頃におきたある出版社の労働争議資料を当時の関係者が所蔵していたものの加齢により処分せざるを得なくなってのことです。
こうした寄贈の申し出は珍しいことではありません。大原が労働運動の資料保存機関としてそれなりに知られ、あてにされているともいえます。大原では連絡を受けると、資料の内容・性格、量、受け入れ条件などをお尋ねし、その上で所内で検討し受け入れの是非を決めます。
大原の現状として保存スペース、整理のためのマンパワーの問題があります。多摩キャンパスに移転した19年前にはがらがらだった書庫は、今はすでに床も含めて満杯状態です。この間向坂文庫の大量受け入れや労働組合の統合・再編成による資料室の閉鎖、資料の廃棄に対し積極的に受け入れ策をとってきたことによります。アーカイブとしての機能を維持・拡充していく上でスペース問題は当面の最大の課題です。
しかしながら現状ではまとまったコレクションの受け入れは限定的、重点的にならざるをえません。所内で検討の結果今回の2件はいずれも受け入れ難いという結論になりました。
ただお断りするのではなく、他の機関を紹介するということで労働資料協のMLにこの件をお知らせし、受け入れ先を求めました。労働資料協の発足のきっかけはそもそも労働戦線の再編成にともなう資料の散逸を防ぐというのが主要な目的でした。その結果前者は東京大学経済学部図書館資料室に、後者は大阪社会運動協会に必要な図書が引き取られ、重複分はリユースにまわされることとなりました。ともかくも今回の2件ともが廃棄、散逸させることなくしかるべき機関に納められることとなり、最初に連絡を受けた私としても安堵しました。
労働組合での資料活動・アーカイブは労働運動の高揚期であった1970年代ころと比べてその資料室の整備状況、担当者の存在などはるかに後退しています。早い話が、組合の資料室にかつて並んでいた『日本労働年鑑』はいまやほとんど消えているのではないかと想像されます。ましてや組織そのものが再編・統合に直面するとき、組織資料の保存の課題など2の次3の次になってしまうのもやむを得ない話かもしれません。労働争議の場合は争議が終わればどこでその関連資料を保存することになるのでしょうか。
今日その担い手は多くは直接の当事者個人であり、あるいは大原のような大学や研究機関です。しかしいまや大原に限らず多くの大学(図書館)は図書資料の受け入れには消極的です。そして受け皿のない資料の多くの資料は、所蔵者の加齢とともに維持できなくなり、日々散逸していることでしょう。
公の資料であれば国公立の文書館、図書館に保存責任を求めることもできるでしょうが、民間資料の場合はそうもいきません。一部の公立施設では地域資料として収集保存しているところもあるようですが大きな流れとはなっていないようです。
それでもやはり組織の資料はその組織、あるいはその上部組織がまず保存責任があることはいえます。その上で労働資料協のようなネットワークで情報を交換しあってそれぞれの機関の条件のもとで受け入れる、そして収集保存情報を公開し、共同利用を図るというのが当面の現実的な方法のように思います。
最後に古書店のことについてひとこと。今では古書店もなかなか引き取ってくれなくなっていますが、それでも目利きのいい古書店に渡れば、ほんとにほしい人・機関がお金を出して買ってくれるわけで、ある意味では図書の価値が一番活かせる方法ひとつであることは間違いありません。古書店に売却するのを白眼視してはいけないと思います。
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