私の月誌(2011年2月)

『さいれん』復刻版出版記念祝賀会

 1月29日、熊本学園大学水俣学研究センター主催で、『さいれん』復刻版刊行記念祝賀会が水俣市で開かれました。
 『さいれん』というのは水俣病の原因企業であるチッソの企業内組合、新日本窒素労働組合の機関紙です。戦後のレッドパージを経て安定賃金闘争を闘い、水俣病と向き合ったこの組合の活動記録は労働運動史のみでなく、社会史、水俣病事件史の観点からも重要な資料といえます。戦後の単組の機関紙がこのような形で復刻刊行されるのはおそらく初めてのことではないでしょうか。
 私は、この会に招かれ「労働組合資料の保存の意義と課題」のお題で講演を依頼されました。折から数日前からの新燃岳の噴火により航空便が心配でしたが、熊本空港には若干の遅れはあったけどほぼ順調に到着。そこから水俣まではバス、リレー新幹線と乗り継ぎ。意外と遠い。そうか、水俣は熊本県南部、すこし行くともう鹿児島県。
 会場は地元のしにせ料理屋といった感じのあらせ会館。中に入ってちょっとびっくり。照明はシャンデリア、会場いっぱいの丸テーブルにはすでにコップがセットされている。そう、ほとんど結婚式モード。聞けばこの会場で結婚式がたびたびおこなわれているとのことです。水俣学研究センターの方や新日窒労組OBの方々による内輪のお祝い会の前座の講演をイメージしていたのですが、熊本学園大学の学長さん、水俣市の副市長さんもご列席、もちろん新日窒労組はじめ地元水俣の労組OB、OG、関係者の方々など100名ほどで会場はいっぱい。このシチュエーションでどういった講演をすればいいのだ〜、すこしあせりましたがもう遅い(汗)。
 1部は来賓のあいさつ、そして私の講演。拙い講演は省略。2部は祝賀会。おまたせの乾杯のあとは、地元で労組とゆかりの方々による楽器演奏、踊り、歌。おおいに盛り上がる。なんか東京や横浜とはノリが違うな〜。スピーチは『さいれん』に連なる方々のお話、おはなし。体調の悪い中この会場に駆け付けてこられた方も。みなさんいろんな想いでこの組合活動に、闘争に関わられたんですね。みんなの想いを今日水俣学研究センターが結びつけた。会の締めくくりはみんなで腕を組み「が〜んば〜ろう」。私もン十年前にタイムスリップ。
 翌日は水俣学研究センターの井上さん、花田さんのご案内で水俣をひと巡り。水俣市立水俣病資料館、チッソと関連企業の工場、埋め立てられた汚染地、今も患者さんが療養している地区など。チッソは「水俣駅」から直でつながっている、というよりチッソが先でそれにあわせて鉄道が敷設されたとのこと。企業城下町、企業と自治体の深いつながり、そして、今も解決していない水俣病。この街で巨大企業に正面から向き合った労働者たちがいた。
 水俣学現地研究センターでは整理中の新日窒労組資料をみせていただきました。膨大な写真フィルムもありました。ほとんどプロはだしの技術だそうです。三池もそうですが、この新日窒労組も文化活動が旺盛に展開されていたようです。それが『サイレン』の資料価値を高めています。資料の整理は労組OBの方々の協力を得てすすめており、まだまだ先の長い仕事になるそうです。  その日は鹿児島でもう1泊。鹿児島は雪でした。翌日鹿児島空港へ。なんと空港は霧島市にあって新燃岳は空港の間近、この日はもくもくと白い灰を吹き上げていました。
 水俣、灰、雪。濃密なときをすごした旅行でした。井上さん、花田先生、みなさま、ありがとうございました。
 今年の秋、労働資料協の総会・研修会でまたおじゃまします。


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