産児制限器具 1930年

 見学者の方を案内して貴重書庫に来るといつも決まって2つの木箱に入れられたこの資料を、以前展示の折作成した手書きの「プロレタリア産児制限運動」というキャプションを見せながら、紹介します。すると一瞬微妙な反応があり、あとでけっこう受けます。
 中身はコンドーム、ぺッサリー、避妊薬、性具など。ゴム製品は乾燥しきってはいますが、まだ原型をとどめています。
 数年前のことですが、NHKのエイズ関連の番組でこの避妊具を提供したことがありました。書庫からおもむろに木箱を持ち出し蓋を開けるという、この種の番組でよくある場面構成でした。
 なぜ戦前期の避妊具が研究所に残っているのでしょう。戦前研究所で庶務主任をしていた鷹津繁義が残した「日誌」によると、1930年に「大林宗嗣研究員が調査資料として購入」とあります。産児制限運動の関連資料として収集したのでしょうか。
 実はこの避妊具類はある本に全点写真撮影され掲載されています。『日本産児調節史 明治・大正・昭和期まで』(日本家族計画協会、1967)です。著者の太田典礼(1900-1986)は生涯を産児調節運動にかけた人で今は日本尊厳死協会となっているその前身安楽死協会を設立した人です。たまたま戦前の避妊具が研究所に所蔵されていることを知った太田が全点を写真撮影し掲載したものです。この本には「発見」に至る経緯も記されていてリアル感があります。ただ、収集したのが研究員の権田保之助とありますが、これは明らかに大林の間違いです。どこで取り違えたのでしょうか。(2007年5月記)

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