カール・マルクス『資本論』 1867年

 この本は間違いなく研究所一のお宝です。"世界を変えた"『資本論』の初版であること、そして、マルクス自筆のサインがあることからです。
 サインは、

 Seinem Freund Dr. Kugelmann
Hanover,17 Sept. 1869. Karl Marx

「わが友ドクター・クーゲルマンへ、ハノーヴァー、1869年9月17日、カール・マルクス」

とあります。
 マルクスは悪筆だったということですが、どうして中々味わいのある字ではないかと思います。
 『資本論』の刊行は1867年9月。その2年後マルクスは長女のイェニーを連れてドイツに旅行した際、友人で第一インターナショナルの支持者であったハノーヴァーに住むクーゲルマンの家に半月ほど滞在していますが、そのときに署名したものといわれています。
 この本は研究所が創立直後に図書資料の収集にためにドイツに派遣した櫛田民蔵が、ハスバッハ文庫の1冊としてベルリンの古書店シュトライザンドより購入したものです。購入価格は18円20銭。当時の物価を今と比べると千倍から1万倍といわれているので、千倍として1万8千円、万倍としても18万円。超お買い得だったといえるでしょう。
 当時ドイツは第一時大戦後のインフレで物価が大暴騰中で外国からの旅行者にとっては持っていった邦貨を湯水のように使えました。同時に、戦後のドイツでは多くの知識人が生活の足しにするため蔵書を売りに出していたという事情もあったようです。櫛田がシュトライザンド書店に出入りしていたころにやはりソ連からマルクス研究所の設立準備のためにドイツに来ていたリヤザノフとよく鉢合わせしていたといいます。それが縁で櫛田はリヤザノフと親交を深め、後にソ連に招待されています。少し遅れて向坂逸郎もドイツ留学し、やはりシュトライザンド書店に入りびたりとなります。
 マルクスの研究をされている東北大学の大村泉さんによると『資本論』の初版はわが国で48冊が所蔵され、そのうち4冊にマルクスのサインが記されているということです。大原以外では、小樽商科大学、東北大学、関西大学の各図書館に所蔵されています。一方世界中には約100冊の所在が確認されているそうです。なんと日本に世界全体の半分があるわけです。日本はマルクス経済学の研究では世界の先進国とどこかで聞いたことがありますが、所蔵冊数にもそれがあらわれているのでしょうか。あるいは、明治以来の西洋文化の吸収に貪欲な国民性のあらわれでしょうか。はたまた単にお宝収集好きなのか。
 研究所にはほかにもう2冊『資本論』の初版本があります。1冊は向坂逸郎が購入したもので1985年に研究所に寄贈された向坂文庫の中のもの、もう1冊は高野岩三郎がドイツで購入したものを娘婿の宇野弘蔵に進呈したものです。長く宇野家が銀行の貸し金庫に保管していたのですが、1995年に研究所に寄贈されたものです。
 マルクスが『資本論』を書いた1967年は日本では慶応3年。翌年が慶応4年、明治元年です。ようやく封建制から解き放たれて近代への歩みを始めようとしたころ、すでにヨーロッパでは経済の仕組みを解き明かす研究がすすめられていたのです。今でこそマルクス経済学は近代経済学と対比されて論じられることがよくありますが、もともとはマルクス経済学も近代経済学の一派として古典経済学に対していたということはつい最近知ったことです。
 知と実践を共に極め、名を残すマルクスはやはりすごいなと思います。だいいち名前に「主義」「イズム」を冠せられる人は歴史上そう多くない。
 と、ここまで書いてきてなんなのですが、なんだかんだいっても『資本論』初版本は世界に100冊もある、だけど、戦前期の労働運動、社会運動のビラ、チラシ、ポスターなどはその一枚一枚が世界中探してもここ大原に一点しかない、大原的お宝度ではむしろこっちの方が上だとも思う、天邪鬼の私でした。(2007年9月記)

<参考文献>
『大原社会問題研究所とその蔵書』(久留間鮫造、大原社会問題研究所、1949)


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